得たものと失ったものと(長文)
え~先日以前勤めていた学校の卒業式に行ってきました。
経験はないんですが顔を見にいくのもいいんじゃないかということで。
もう一年経つんですね。
しかし、どういう体で行けばいいのか・・・意外と難しい。
他の先生方に挨拶すると仰々しくなるし、でも何事もなく保護者席に着くのもまた、それに堂々と顔をだすものなんだかなというのを自問自答。
で!結局マスクつけてしれっと保護者席に座ることにしました(^^;
後ろには見知った先生方がいてドキドキしましたよ。
そして生徒入場!ところが例年は花道のような大きな道を通ってクラスごとに分かれていくのに今年のものは各クラスの保護者席の間を通っていく形式。自分の席からはほとんどのクラスが見えず残念。
滞りなく式がすすんでいきます。生徒たちの声が響くのは気持ちが良いものですが、聞きながらふと考えがよぎります。
「学校で働くとは」
この式の形式は去年も一昨年も同じ、たぶんその前もその前も・・・そして皆さんの卒業式と比べても大きな違いはなしでしょう。
このこと自体は「式とはこういうものか」でいいんでしょうけれど、何か違和感があって、なんだろうと一人で思案しているとここ一年学校から離れていたせいじゃないかと思い当たりました。
学校を俯瞰してみていた一面があるんです。
生徒たちはここから学校での経験を活かして進学なり就職なりして社会へ出てていく、そして自分の生活をおくっていく。
対して学校で働いているとどうか
『同じ時間同じ場所で毎年の行事を効率よくこなしてく』
これは素晴らしいことです!
数をこなし効率よく時間をつかって最大限の効果を出してく
おそらくどこの職場でも活かされることだと思います。
ベテランの先生の余裕のある対応をみると自分の未熟さを思い知ることもありました。
ただ、一方で生徒という「色々なものになれる子たち」と「もう学校で働くことに馴染んだ大人」との差も感じることもありました。
なんか文にしにくいんですが(ここが大事なんでしょうけど(^^;)
教える側(社会人)としてもっと鍛えないと思わされる部分が多くあったんです。
もしかしたらもう少お給与高くて安定していればそんなこと考えなかったかもしれませんが(^^;
まぁそんなこと考えて学校離れてさらに給与低くなってりゃ世話がないですが、確実に一年前より知識が増えていることもまた事実。
中には附属高校からそのまま上の大学行って附属高校に戻ってきて学校で働きだし生徒に「社会に出たらなー!」という人もいますから・・・それはそれで伝えられることもあるんでしょうけど、横で見ているとそういうのドキドキしますよホントに。
「生徒と共に成長する」というのはよくきかれる言葉ですが、生徒にとっては無二の時期、学校にっては幾度か目、来年はこうしようなんて思っても生徒には一回きりの高校生活ですからそこを充実させるためには教師側は充実させるだけの力が必要になるでしょう。
あと、組織で新しいことしないと淀んできますからそういう意味でも勉強になった期間かもしれません。
力と知識つけて学校でまた働いてみたいですね。
・・・とか考えていると卒業生代表の言葉、この生徒のクラスは看護・専攻科という特別なクラスで看護師を目指すクラス。ほかの学科と違って5年制なんです。
実際に私が担当したのは2年生の時だけだったんですけど、その後も付き合いが続いていてすごくいいクラスでした。
病院実習などもあって外部の色々な人たちとも会っているので周りの子たちと比べるとずいぶん大人なんです。
言葉には大変だった学校生活が滲み出ていて感動しました。
自分が教えたクラスの子たちにはなるべく会いたいな、と思っていたのですが特にこのクラスの子たちとは会いたいと思っていたんです。
いやでも私マスクだし笑
(続く)